チョーラ朝の銅板、インドに帰還!13年越しの文化財返還

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オランダ(ネーデルランド)が、11世紀に制作されたチョーラ朝の貴重な文化財25点をインドに正式返還しました。マレーシアに暮らすインド系コミュニティにとっても、先祖のルーツであるタミル・ナードゥ州の歴史に直結するこのニュースは、大きな反響を呼んでいます。

「ライデン銅板」とは何か?

今回返還されたのは、オランダのライデン大学に保管されていた「ライデン銅板(Leiden Plates)」と呼ばれる銅製の文書群です。

種類 数量 内容
大型銅板 21枚 王族の土地・財産付与に関する勅命
小型銅板 3枚 補足的な王命の記録
青銅製リング 1点 チョーラ王家の王室印章

銅板にはタミル語とサンスクリット語で記載があり、現タミル・ナードゥ州のナーガパッティナムにあった仏教寺院への王族からの財産付与の内容が刻まれています。

日本でいうと、平安時代に天皇が寺社に土地を寄進した「荘園免状(しょうえんめんじょう)」に相当するイメージです。当時の王権と宗教の密接な関係が1000年の時を越えて伝わる、非常に重要な歴史文書です。

チョーラ朝とは?タミル文明の黄金期

チョーラ朝(Chola Dynasty)は、9世紀から13世紀にかけて南インドで栄えた大帝国です。

時代 主要な王 特記事項
10世紀後半〜11世紀前半 ラージャラージャ・チョーラ1世 今回の銅板を制定した王の一人
11世紀前半 ラジェンドラ・チョーラ1世 東南アジアへも遠征、マレー半島にも影響
最盛期(11世紀) 南インド・スリランカ・東南アジアを支配圏に収める

注目したいのは、チョーラ朝がマレー半島(現在のマレーシア)にまで軍事的・文化的影響を及ぼしていたという事実です。マレーシアのインド系住民の先祖は、まさにこの王朝の文化圏で生きていた人々。クアラルンプールやペナンのヒンドゥー寺院に見られる南インド建築のスタイルは、チョーラ朝文化の延長線上にあります。

なぜ銅板はオランダに渡ったのか

18世紀、オランダはスリランカ(当時セイロン)やインド南部の一部を植民地として支配していました。その時代にライデン銅板はオランダへ持ち出され、以来ライデン大学で保管・研究されてきました。

日本でも明治〜昭和初期に欧米の研究者が持ち帰った浮世絵・漆器・刀剣などが、現在でも海外の博物館に多数所蔵されています。近年は世界規模で「植民地時代の文化財返還」の機運が高まっており、ライデン銅板の帰還もその歴史的な流れの一環です。

世界の文化財返還の動き(比較)

返還元 品目 状況
インド オランダ チョーラ朝ライデン銅板 今回返還
ギリシャ 英国 エルギン・マーブル(パルテノン神殿彫刻) 交渉継続中
ナイジェリア 独・英・米 ベニン・ブロンズ像 順次返還
カンボジア 米国 クメール朝の彫像 複数返還済み

モディ首相の訪問が転機に

インドは2012年から正式にライデン銅板の返還を求めてきましたが、ナレンドラ・モディ首相のオランダ公式訪問を機に、ついに返還が実現しました。外交交渉を経て13年越しで果たされた帰還は、インド政府だけでなく、世界各地のインド系ディアスポラにとっても「文化的アイデンティティを取り戻す」象徴的な出来事となっています。

日本人向けメモ

  • マレーシアのタミル系コミュニティへの意義: マレーシアには約150万人のタミル系インド人が暮らしています。その多くの先祖はタミル・ナードゥ州の出身。チョーラ朝文化は彼らの歴史的アイデンティティの核心部分であり、このニュースへの関心は特別に高いです。
  • クアラルンプールでチョーラ文化に触れるなら: バトゥ・ケイブス(Batu Caves)やスリ・マハ・マリアンマン寺院(Sri Mahamariamman Temple、チャイナタウン近く)を訪れると、南インド由来の精緻な彫刻や建築様式を身近に感じられます。
  • タミル語とマレーシア: 銅板に刻まれたタミル語は、現在マレーシアのインド系コミュニティが日常的に話すタミル語と同じ系統です。LRTの車内放送やKLの標識にもタミル語が使われているのはこのためで、約2000年以上の歴史を持つ言語の生きた証です。

写真: Balaji Malliswamy / Unsplash

出典: Varnam.my の情報を元に、日本人在住者向けに独自作成した記事です。価格・条件は変更される場合があります。最新情報は公式サイトでご確認ください。

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